「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を観ました。
こんばんは。
とりいです。
「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を観ました。
最後までスリリングであり、とても面白かったです。
今回は「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」を記事にします。
概略
2014年に中国で実際に起きた大規模なカンニング事件をモチーフにしたタイ映画です。
中国、香港などアジアで史上最大のヒットを記録した。
天才的な頭脳を持つ女子高生リンは、学校のテストの際、友人を助けたことをきっかけにカンニングビジネスを始める。
それは次第にエスカレートを重ね、国をまたぐ巨大なミッションとなる。
手際のよさを感じさせる脚本力があります。
映画全体が大きく三つのテストシーンに分けられ、カンニングシーンが見せ場となっている。最初のテストでは、友達を助けたいという思いから、出来心的にカンニング行為に加担してしまう。そこに至るまでの描写の積み重ねが、見せ場に影響を与えていきます。
面接のシーンでは、物事の根幹にかかわる、学歴と金、学歴と経済格差の問題が、ワンシーンで手際よく、ポンポンとさりげなく示されていく。
短い間に情報がリズムよく提示されています。
感想
「私にとって不正は何かを失うこと 私たちはお金を 彼らは点数を得る」
青春映画であり、社会派映画として秀逸でした。
しかし、見方によっては、天才が金持ちに利用されているだけの話とも映ります。
10代を描いた作品であり、直近で「12人の死にたい子供たち」を観ましたが、「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」のほうが評価が高いです。
10代の子供たちの行動は社会や大人を模倣したものである。抗えない力学と、既成の社会の欺瞞に満ちたルールに気づきながらも、自分なりに咀嚼して我慢して未来への歩みを進めていく作品。
一人の天才である少女に目をつけ、その才能に乗りかかることで自らの人生を推し進めようとする豊かな子供たち。きっかけは、少女同士の友情であり、そんな友情は踏みにじられ、金持ちたちの都合と私利のために消費されていく。
テスト中のカンニング自体を描く描写はスリリングであったが、富裕層に押し出されてセンチや前線に押し出される大衆が、社会の縮図を試験のシーンに出していて、現実感が自分を襲った。
結局、学業なんて社会に出て富を得るための術を学んでいるだけのことだったら、学生のうちから稼げる才能があれば稼げばよく、現にそのような人はたくさんいる。
地位や名誉、富を得ることを最終到達点としたバンクの儚さがある。
最後は無理やりな自己完結だったが、退学して荒稼ぎするバンクの必要悪としての存在が印象に残っています。