まるぶれ

水族館が好きでよくいます。EOS Kiss M使用。Netflixで映画を観ます。

「運び屋」を観ました。

 

こんばんは。

とりいです。

 

本日は「運び屋」を観ましたので記事にします。

本作は、クリント・イーストウッドが監督と主演を務めています。

 

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人生のやり直しに遅すぎるということは無い

本作の主人公アール(90歳)は、自分の家庭や娘の結婚式よりも仕事(デイリリー栽培)を優先させる仕事人間として、登場する。

時代の流れには逆らえず、ネット通販に押されて自身の栽培所を手放さざるをえず、途方に暮れたアールは勇気をもって孫娘のパーティを訪ねるが、疎遠だった妻と娘に冷たく扱われてしまう。

しかし、このパーティで話しかけてきた男が持ち掛けたある仕事で、まったく新しい世界へと足を踏み入れる。

序盤は運ぶ荷物の中身や仕事の報酬が高額とは知らなかったといえ、結果的に麻薬の運び屋と犯罪行為に手を染めてしまった。

孫娘の学費援助や友人たちの資金のため、次第に運ぶ麻薬の量も増えていき、持ち前の人当たりの良さと善良そうな外見から能力を開花させ、麻薬の運び屋の世界では知られた存在になってしまった。

本作が描こうとするものは単純な勧善懲悪ではなく、アールのような年齢彼でも新たな環境に飛び込もうとする勇気や柔軟さがいかに重要であるかを示すもの。

新しい環境で人生を再スタートさせ、家族や周囲の人間関係を修復するのに、遅すぎることはないというメッセージ。家族を持たず、社会との接点である仕事もなく十分なお金もない老後が、いかに味気ないものかを本作で語る。

 

「デイリリー」の花に込められた意味

本作でアールが生涯をかけて栽培しているのが、「デイリリー」という花。別名を「ヘメロカリス」という花言葉は、「とりとめのない空想」「一夜の恋」「愛の忘却」と、アール自身の性格や過去の行動を象徴している。

さらにもう一つの花言葉「苦しみからの解放」を踏まえて映画を観てみる。

映画のOPに繋がる円環構造となっているラストの描写を自身の犯した罪により家族から離れて孤独に花を育てていると観るか、花言葉の意味通り、家族との関係を修復し麻薬の運び屋としての終わりなき苦しみからも解放されたと観るか、である。

 

人情より効率を優先させる社会への問題定義

コメディ要素が強い本作で観客の笑いを誘うのは、アールの昔ながらの考えや、細かいことは気にしない自由過ぎる行動に次第に影響されてアールと仲良くなっていく、本来は悪人である男たち。

時代の流れに乗り遅れたアールが次第に時代に適応していく姿、彼の昔ながらの自由な考え方や行動に、周囲の人々も人情や思いやりという人間の心の部分を思い出して和やかな人間関係を築いていく様子が描かれていくのが本作である。

妻の葬式に出席するために運び屋の仕事を無断で中断したアールに対して、大目に見てあげてはとの考えにも、ボスの容赦ない命令に従うほかはないことを描かれている点。

本作の終盤で描かれるのは、ベテランの経験や判断が仕事を円滑に回して成果を上げていても、新しい上司がデータに頼り、生産性や能率を重視するあまり、円滑に機能していたシステムを破壊してしまう弊害と、指導者の考え方ひとつで社会のシステムが傾いてしまうこと。

今までの家族的で人情が通用する組織から効率と生産性を優先させる麻薬組織の中で次第に追い詰められていく主人公の姿は、現代の企業に勤める人間の姿や悩みを象徴したものだ。

アールの人間的魅力や、運び屋として働く姿の若々しさが前半で描かれ、バランスが一気に崩れる終盤の展開には、人生の喪失感を強く感じることとなる。

 

感想

主人公のアールが深くまでは考えず、いろいろやっている感じが好印象であり、最後はじんわりとした余韻が残ります。

映画産業と花の栽培という違いはあるが、自身の能力を表現できチア外敵に評価される仕事に没頭するあまり、家族や家庭をおろそかにして、人生の晩年を迎えるアールの姿は、監督のクリント・イーストウッドの実人生を思わせます。

とても良かったです。